バスケ界隈の隅っこで

妄想妄言ファンタジー

大は小を兼ねると申しますが小は小で大の始まりなので

どうも、バッカスのオッサンです。

いやー、休みに休みましたね盆休み。

ブログ基準で考えるとめちゃくちゃ休んだわけですが、ブログを休むということは実生活で休みがなかったということでもございまして。

ありがたいことに仕事はフルで9連休だったわけですが、そのうち大半を体育館で過ごさせていただきました。

お陰様でもう体育館なんて見たくもない。

⋯とまでは申しませんが、オッサン的には体が辛い。

 

しかしほんとのお陰様を申し上げますと、盆休み前は決して良くはなかったチーム状況が、少し好転しつつあるかなと思えるほどには変化があり、重い体を引き摺って毎日毎日あちらこちらの体育館で汗を流した甲斐くらいはあったと感じられる心境であります。

沢山の試合を経験させていただき、各チーム様、自チームの皆様、関係各所の酷暑にすらも感謝の気持ちを申し上げたい所存でございます。

 

チームの状況が好転しつつあるとはいえ、そういう表現に留まるということは、まだまだ一丸となってグッと歯車が噛み合っている状況とは言いづらいというのも本音です。

こういうときに流れを掴んで良い波に乗っていける選手もいれば、取り残されてしまう選手もいます。

チームとしても重苦しい雰囲気の暗いトンネルを抜けかけているだけに、いま立ち止まるわけにはいきません。

流れを切らずにこの波に乗せていかないと、また停滞するのは目に見えています。

なので、現状取り残されている選手に関しては、今はまだ手をかけるべき時期ではないと判断しています。

 

こういう時、何も考えずに流れに乗っていける人もいれば、自我が強いあまりあえてその流れに逆らってしまう人もいて、後者のパターンであればまだ試行錯誤を感じられることから、長い目で見てみるべきかと考えることも出来ます。

しかし、ただ単純に自分個人のことしか考えられなくて、周りの波に乗れない、チームが波に乗っていることにすら気付けない選手が増えてきていると実感しています。

例えば、自分のミスで足を止めてしまい次のプレーに遅れるとか、自分がボールを持っていない時に何もしていないとか、そういうことをしてしまいがちな選手は、評価軸が「自分が良いプレーをするか否か」でしかなく、チームスポーツの中では苦労する印象を持っています。

チームスポーツにおいて一番優先されるべき目標はチームが勝つことであり、個人はそのために尽力すべきです。

「勝てば何でもいい」という話をしているわけではありません。

たとえ負けたとしても、チームが勝つために最善の努力ができたか⋯というところを評価の基準にしてほしいという話です。

 

そういう意味で苦労する性格の選手は年々増えているなという印象を持っています。

これが何度伝えても変わらないことが多いんですよね。

いつまでも自分、自分、自分。

ま、中学生を指導することが多い私だから、こんなふうに感じているのかも知れません。

厨2病真っ最中のお子様たちが相手なのでね、オッサンくらい自我を後回しにしろと言っても難しいのは難しい。

ただ、それが出来る子たちもいる中で、いつまでも自分だけそんな調子で大丈夫ですか?と心配になるわけですよ。

「生き物」という大きな括りでは変化に対応できるやつが最強と言われていますが、これ「人間」とか「スポーツ選手」と置き換えてもそこそこ通じる説かなと思うんですよ。

どこまでも自分のやり方や考えにこだわって生き抜いていけるのは強者だけであり、その強者ですらも環境の大きな変化には敵わない。

それが私は真理であるという気がしているのです。

中学生風情が自分のやり方に拘ったところで、その時点でどんな強者であったとしても、カテゴリーが上がっていけばいつか頭打ちになる。

そのタイミングが早いか遅いかの問題で、誰にもそのタイミングは訪れると思うんですよ。

であれば、それを早い段階で気付けることは、とても良いことのような気がします。

それに気付く⋯ということは、自分がその環境で強者ではないということに気付くということです。

その環境の中で存在意義を見出す、認められる、役に立つ、頼られる、ということが出来るという能力は、死ぬまで利用可能な能力かなと思います。

要はその環境で仕事を得られるということですから。

 

ま、そういうふうに考えていくと、私が選手に教えることの中でそれこそが一番重要なことかも知れないです。

一時期、優劣をつけないとかいう教育方針が流行った影響で、学校教育が死ぬほどやりにくくなったんじゃないかと私は思ってるんですが、エビデンスもなんにもないのでまぁ思ってるだけなんですが。

今でもその頃の影響は根強くあるなというのが正直な感想です。

どこに行っても人間は優劣をつけられます。

上辺ではつけませんと言っていても、つけられてます。

どこでもそうなんだから、スポーツの界隈では強烈に優劣をつけられるものと思ってください。

強者と弱者が生まれてしまう界隈で、自分の存在意義を捉えるのは難しいことかも知れませんが、それが出来ればどんな場所も怖くなくなるかも知れません。知らんけど。

やはりそこらへんの意識付けというか、方向付けのようなものが、私の行っているコーチっぽい仕事の中では一番肝要なのかなという気がしますね。

私みたいな者ですが、少しでも何かのお役に立てるように生きていきたい所存。

ま、大きく役に立つのは大変そうなので、小さなお役立ちに留めておきたいのも正直なところ。