バスケ界隈の隅っこで

妄想妄言ファンタジー

こんなことが楽しい

どうも、バッカスのオッサンです。

私が日記サイトとしてのブログを書いたり読んだりして楽しかったのが、もう15年は前かも知れないんですが、その頃に比べて今や一銭にもならないブログをやるのは意味がわからんという時代になってるような気がしています。

確かに、どうせ労力を使うならお金になったほうがいいとは思うし、時間の無駄と言われれば反論はしづらい。

でもただ私はパソコンのキーボードをカタカタ言わせたいという欲を解消するために文章を書いているので、逆に言うとそれが出来ないのだ。

それとは何かというと、お金になる文章の作成である。

お金になるブログの文章というのは、おそらく何かの役に立ち、そこには何らかの正しい情報が在り、読む人の購買意欲がそそられるような物であるはず。

オススメしたい素敵な商品を見つけ、その商品について詳しくリサーチ、時には実際に買ってみてその魅力を理解し、その商品を欲するであろう層に向けて響きそうな文章を考える。

そういったお金を生むための苦労が、私にとっては何のモチベーションも得られない努力でしかなく、そういう努力は苦痛でしか無いのである。

もっと適当に思いついたまま気ままにキーボードを乱打したい。

準備の方に時間がかかるような記事は、私には書けそうもないのだ。

その努力さえ苦にならなければ、私はブログで巨万の富を得られたかも知れないのに、非常に残念だ。

点は二物を与えずだ。

二物どころかひとつも与えられていない事実については、気付いても黙っていて欲しい。

それが優しさってものだろう。

 

みんながスマホを持っていて、やる気さえあればみんながメディアになれる時代。

そう言われて久しいのにも関わらず、このタイミングでブログを始めるのも意味がわからない。

意味がわからないというよりは、だから意味など無いのだと受け止めて欲しい。

意味がないことをやるのはオッサンとしては愚かなことだ。

オッサンには意外と余裕がない。

時間がない、お金がない、体力もない、若さもないしつまり寿命が短い。

だから意味のないことをやってる余裕がないのだ。

特に体力の無さが全てにおいてキツイ。

時間があっても体力がないから頑張れない…という場面がある。

また、お金はあるのだが体力がないので動くのが億劫だ…という場面がある。

これはつまり体力だけが足りないだけで、他の条件を無効化してしまうということである。

オッサンとして生きるには、これが一番の問題なのかも知れない。

そんな時に体を無理やり動かす原動力になるのが、精神の若さであると思う。

それも無ければあとは死ぬのを待つだけだ。

 

と、悲観的なことばかりを言っていても仕方がないので、オッサンは考えるのである。

体力問題の影響を極力感じずに済む方法で、何らかの楽しみを得られる術を。

私にとってはそれがブログであり、要はタイピングであり、その技術の向上が、無駄っぽさを忘れさせてくれるのだ。

私がタッチタイピングに取り組み始めたのはごく最近で、それまではガッツリキーボードを目視ながら文字を打ってきた。

今ではなんとか、遅いけれどキーボードを見ずに打つことが出来るようになった。

この自分にとっての新しい技術を伸ばしていく。

それが一つのモチベーションであり、それだけでこのブログをやってるので、文字を打つこと以外にこのブログでマストの作業はないのだ。

文章の内容なんてクソカスのスッカスカで構わない。

タイピングに使う体力というのは、非常に少なくて済む。

基本的には座って指先を動かすだけの作業なのである。

もっといえば私はノートパソコンを使用しているので、寝っ転がって打つことも出来る。

趣味の中でも最高級に怠惰。

なんにも疲れない。

 

あとは書いてる内容がすんげー面白かったらいいんだけどなー。

文章力や企画力があって、文字を書くだけで仕事になるような才能があったら最高なんだけど。

残念ながら天はそれも与えてくれてないようなので、多くは望まず端っこの隅っこのほうでひっそりと生きていくとする。

不思議なもんで、歳を取るといろんなものの楽しさがわかってくるもんで。

ど真ん中の人たちだけが楽しいわけじゃなく、隅っこには隅っこの楽しさがあるのだ。

これが若者には負け惜しみに聞こえるだろうし、そうだろうと言われてちゃんと反論しようとも思わない。

そうかも知れないね、と思う。

でも楽しいのも事実なんだよな。

最高じゃないけど、悪くないっていう感じ。