どうも、バッカスのオッサンです。
このブログの記事というのは、私が「あーこういうことについて書きたいなー」と思ったことを適当に書き始めてみて、思いつくがままに適当に書いているものです。
基本的にあまり内容は詰めずに、フンワリとしたイメージだけを持って、何となく書き出した文章につられて出てきた言葉を並べていくという、非常に不真面目な書き方をしています。
出来るだけ支離滅裂にはならないように心がけていますが、読みにくいところは多々あると思いますので、そんなものでも読んでいただける方には感謝の気持でいっぱいです。
さて、今日はわりとギターやベースに触れられた一日だったのですが、ふとギターやベースの物の価値というものを考えました。
私が所有している楽器は、市場的には大した価値のないものばかりで、しかも自分好みに改造を施しているものがほとんどですから、世間一般を基準とする物の価値としては非常に低いものと思われます。
ただ、私個人の価値観で言うと、どの楽器も手放したくない程度に愛着があり、金銭的価値だけでは計れない大切さがあります。
一本一本に出会いからこれまでの歩みを含めたストーリーが有り、どれも手放すには惜しいものばかりです。
ギターの改造というものについて私見を述べますが、まず、闇雲に何も考えず、何の意図もない改造というものは、存在しません。
そこには何らかの目的と希望と冒険心が詰まっており、ギターの改造というのはある意味でロマンの探求であり、夢が詰まったものという解釈で私は生きております。
「この音を理想に近づけたい」「憧れのあのギターのような見た目にしたい」「この機能を追加すればもっとバラエティーに富んだ演奏ができるかも」といったような、今よりもっと素晴らしい未来を思い描いて施すのが、ギターの改造というものです。
現状のままでは物足りない部分があり、それを良くしていこう、理想に近付けようとする行為ですので、とても前向きな行為です。
ただ、その改造が上手くいくかどうか、思ったような成果を得られるかどうかは、対象が「音」という感覚的なものですので、何らの確証もないまま突っ走る気概が必要です。
そういう意味で、改造は冒険でもあります。
私の愛機にムスタングというギターがあります。
Fender社の廉価ブランドSquierの製品で、そもそも値段的には底辺クラスの物ですが、やはりそれなりに物足りないところを多く抱えるギターでした。
これを何とか満足できるところまで持っていきたいと考え、細かい説明は省きますが、いろんな改造や微調整、部品交換、ノイズ処理などを行い、現在とても整った状態を維持しています。
もっとも気に入っている部分は、改造、調整前よりも弦の振動が素直になった部分です。
改造や調整はギターの「造り」の部分にアクセスする行為ですが、もうひとつギターの音を良くする方法として大切なのが、「鳴るまで弾く」という行為です。
これは、たくさん弾くから鳴るようになるのか、たくさん弾くことによって弾き手がそのギターの鳴らし方を覚えるのか、明確にはわかりません。
わからないので、その両方だ⋯というのが俗説的には通説です。
とにかく、そのギターの良い音は、たくさん弾くことによって理解が深まるのは間違いないです。
斯くして、私のムスタングは愛機と呼ぶにふさわしい私の大事なギターとなっております。
このムスタングが、新品の同機種のギターよりも価値が劣るとは私は到底思いません。
しかし、これを売りに出したとして、果たして新品以上の値段が付けられるかというと、絶対にそんなことはないだろうと予想されます。
ギターを弾く人なら絶対に、新品と私のムスタングを弾き比べたときに、私の方を気に入ってくれると思います。
しかし、値段は新品のほうが高いでしょうねと、私自身も思います。
そういうことを考えていて、物の価値とはなんぞやと、今日は思ったのでした。
そもそも、エレキギターは投資目的の購入もあることから、今や何千万円するようなモデルも存在します。
しかしそれは、ギター本来の音を鳴らす楽器としての価値とはかけ離れた、もはや目的が違った用途の価値でしかなく、私にとっては意味のない値段だと考えています。
何千万円までは行かなくても、数百万円レベルのビンテージギターは沢山あります。
それすらも、私にとっては意味のない値段のものです。
いや、私だって、名機を愛する気持ちはありますから、唸るほどお金があるならそりゃ欲しいなと思うものもあります。
ただ、そこに無駄な金額が乗っかっていることが、私の感覚ではどうしても理解し難く、どうしても欲しい物にはならないという結論に至るのです。
音というものの価値が、私にとっては固定化されていないのも、そういうふうに考える一因かもしれません。
「どうしてもこの音じゃないと」というものが、私にはありません。
どんなギターの音にも、それなりの魅力があるというか、要は使い所が大事なわけで、ギターとしてはしょぼい音でも、演奏する音楽にあってればそれはそれが正解なわけで。
結局は、私の中でギターの音というのは音楽ありきで選ばれるものなのです。
そして、音楽に対するギターの音の応えはなにか一つに決められるものでもありません。
その日の気分で変わってもいいし、演奏する人が変われば求める音も変わってくるはずです。
そういった価値が流動的な部分というか、固定化されない部分が音楽の魅力であると思っていて、だからこそ永遠に答えが出ないまま、ずっと演奏は続いていくのだと思うのです。
そんなものに対して、金銭的な価値基準というのはあまりにも不釣り合いではないかと思います。
楽器の価値は、好きな音がなって、弾きやすい、好きな見た目のものという3点で決めてしまっていいと思います。
それを満たすものが20万円の場合もあれば、3万円の場合もあるのが、現在の世の中の不思議で理不尽で致し方ないところ⋯というのが、私の結論です。
金額には、楽器本来の価値を決定づける要素はありません。
それより何よりいちばん重要なところは、楽器を鳴らす腕前を磨くことと、聞いた人の心を動かす音楽を演奏することかと思います。
お金も時間もかけるべきなのは、本来はそこじゃないかと思いますね。
ただねぇ⋯ギターもベースも死ぬほどカッコ良くて可愛いので、新しいもの欲しくなるんですよねー。