どうも、バッカスのオッサンです。
そういえば日曜日?ニュースで首相が辞意を発表したというのを見ましたが、現在水曜日、リアルで出会う誰からもそのことは話題にも上がっていません。
その程度のことということで、今日も張り切ってキーボードをカタカタしてまいりましょう。
こうして思い付いたことを文章にしてブログに上げるという行為を約5ヶ月やってるわけですが、相変わらず特に誰に読まれてるでもなく、たまに何かのキッカケで読んでくださる人がいらっしゃってありがとうございますという感じでやってますけども。
まぁこれに経済的な意味はないですけれども、何らかのトレーニングにはなっている気はしていて⋯というか、それすらなければ全く何をしているのかわからない状態になってしまうので、死んでもそこにはスガリたいと思っているわけです。
単純に、文章を構成することがトレーニングであり、キーボードを打つことがトレーニングです。
これはもう、意味もなく習慣として続けていけたらなぁと思っているんですよ。
誰かに読まれるわけではないですが、誰かが読む可能性は0ではないという、ちょっとした緊張感が、「人に伝わるように書かないとな」という意識を与えてくれます。
それがあるのと無いのとでは大違いで、個人のメモなら多分2ページくらい書いたところで辞めていると思います。
なぜなら基本的に普段思っていることを書いているだけなので、ここに書きたいことはすでに私の頭の中にあるということになります。
それを人様に伝えるために加工して出しているだけなので、自分で読み返すことにはあまり意味を感じていません。
それに、自分で読み返すと、なんだか恥ずかしい気持ちになりませんか?
なんだか、別に取り立てて新しいことを書いているわけでもなければ、目を見張るような表現があるわけでもない。
ただただオッサンが普段考えていることや、生活の中で感じたことが書かれているだけのブログです。
あまり読み返したくはないので、毎回書き終わった後の確認も、ほぼしません。
書きながら校閲するというか、短いスパンで「文章がおかしくないかな?」「漢字が間違ってないかな?」「ミスタイプはないかな?」ということくらいは確認しますが、全体を読み返すことはまずないですね。
オッサンに残された人生の時間は短いので、できるだけ余計なことはしないように生きていきたいです。
キーボードを打つことは紛れもなく指先と脳神経のトレーニングとなり、そしてこれは体の異変のセンサーともなります。
脳だとか何かに異変が起こると、指先の動きに支障をきたすことが多いようで、これがいつも通りの動きを出来ないとなると、危険信号が灯っているよということらしいです。
ま、そのセンサー部分はさておき、やはりキーボードを軽快に打ち込めている時は気持ちがいいものですし、考えた文章が同時進行で画面に表示されるようなスピードで打てるような絶好調時はとても楽しいです。
ただ、ブログを書いていて思いますが、文章を作成するにあたって時間がかかるのは、文章を考えている作業の場合がほとんどですね。
打ち込むのに時間がかかるということはほとんどありません。
私も寿司打のおかげで日本語の文章ならキーボードを見ずにほぼブラインドで打てますが、キーボードを見ながら打ったとしてもそれほど文章作成にかかる時間は変わらないような気がしています。
このブログのように思い付いた言葉を無責任にダラダラズラズラと並べるだけのタイプの文章なら、多少は打つスピードが影響するかも知れませんが、基本的には打つ時間より考える時間が作業時間を決定する気がします。
なので、私が今、自分の能力として求めるものは、面白い言葉が湯水のように湧いて出るような頭になれたらいいのになということです。
思い付いた言葉をリアルタイムで打ち込むだけのタイピング技術は身に付けました。
あとは書くことが百発百中で面白ければ、ものすごい文章を作れる人になれそうです。
そうですね、エッセイとかを毎日毎日、掘り当てたばかりの温泉のようにドバドバと量産して、それで生活できるよになったらこれ以上嬉しいことはないですね。
ま、残念なことにそういう頭がないもので、私は私の城たるこのバスケ界隈の片隅を守り続けていくんですが。
いや、でもマジでタイピングは快感なんで、この城は長く続くものにしていかないとな。