バスケ界隈の隅っこで

妄想妄言ファンタジー

同じものに見えて全くの別物、それは共存しないただの別物、我々は日々別物とともにある

どうも、バッカスのオッサンです。

前回の記事で「他人の評価は気にする必要がない」ということを少し書いたのですが、そこをもうちょっと掘り下げたくなったので、そうします。

 

他人からの評価そのものが的を射てるかどうか⋯や、正しいか正しくないか⋯は、とりあえず横においておいて、まず私が申し上げたいのは「他人のことにとやかく口出ししてくる奴の人間性を信用できない」ということであります。

まず皆さんの周りにおいて、「この人のことは手放しで尊敬できる」と言い切れる人がいるでしょうか?

もしそういう存在が近くに居て、その人の言うことを何の疑いもなく受け入れられるのならば、その人の話を聞くとよいでしょう。

ただ、それが宗教がらみの場合、もしくはネズミ講的な怪しげ商売話だったときは、これはあなたに疑う心がなくて騙されているだけなので気を付けてください。



私、オッサンになるまで生きてきて、全くもって何の疑いもなく信用できる人には出会ったことがありません。

もちろん、周りに嫌な人しか居ないわけでもないですし、そもそも周りに人が居ないわけでもありません。

好きな人はいますし、尊敬できる人も周りにはいるのですが、100%の信頼は寄せていません。

こういうと私が疑り深い猜疑心の塊のような人間だと感じるかも知れませんが、私の感覚で言うと、ある程度信じていて、そしてある程度は間違うこともあることについて信じている、という感じです。

何を言ってるのかわからない方、大丈夫です。

何を言ってるのかわからなそうに書いたので、その感想、正解です。

私は好きな人を「人として好き」なので、「人って間違うこともある」という前提の元、「間違うこともあるけど好きですよ」ということなのです。

だから、その人の言ってることを100%は信じません。

間違ってることもあるからです。

でも、そういうことって誰にでもあるから気にしませんよ、ということなんです。

 

そういう前提で人を見ているので、私が好きなこと⋯音楽や楽器について、意見が食い違ったとしても気にしません。

ただ貴重なご意見なので、参考にはします。

覚えておいて、いつか本当にその言葉通りだと感じることもあるかも知れませんし、ずっと違うなと思ったままかも知れません。

100%正しいことを言える人間など居ないので、そもそもあんまり気にする必要がない⋯というのが、「他人の評価は気にする必要がない」ことの理由の一つです。

 

もう一つは、誰かが好きでやってることに、その人以上の思い入れもないのに否定してくる奴って、そもそも気持ち悪くないですか?ということです。

私が楽器を練習していることについて、それの良いところも考えないで、頭ごなしに「そんなことやっても意味ないじゃん」などと言われたとしたら、そいつ気持ち悪くないですか?

そもそも、「意味がない」と思っていることをそいつが深く考えているはずがないので、余計に腹が立ってきます。

こっちは、そんなことも言われるだろうな⋯でも自分をすごく楽しい気分にしてくれてさ⋯すごく機嫌良く居られるしさ⋯指先を使うからボケ防止にもなるしさ⋯とか、色んなことを考えているのに。

あー、架空の「そいつ」にだんだんムカついてきました。

 

リアルな私の生活の中で周りにそういう人はいませんが、今ふと思い出したのですが、そういえば高校生の時に「ギターを始めようと思う」とある友人に話したところ、「やめといたほうが良いよ、すごく難しいらしいから、きっと挫折するよ」と言われたことがあります。

いまオッサンになった私からすれば、高校生なんて何を始めても何らかの形に出来るような年齢です。

そんな年齢の時から、ネガティブな発想の奴はいるんだなぁと懐かしく思い出しました。

特に最近は、楽器だけではなく色んなことの練習方法や考え方などがYoutubeを中心に情報発信、共有されており、ものの一年や二年でとてもそんな浅いキャリアとは思えないような演奏をする若い人たちがいます。

やりたいと思ったことは、やるべきですよ。

やりたいことをやって、例えば挫折したとしたら、一体何を失うというのでしょうか。

そもそも、挫折とはなんでしょうか。

大好きなことで一握りの才能を持つ存在になろうと思えば難しいかも知れませんが、そうではなく、「大好きなことをやる」ということがやりたいことをやるということではないでしょうか。

 

私は思うのですが、やりたいことでプロになっている人って、別にプロの生活をやりたいわけではないんだと思うんです。

やりたいことを続ける一番いい方法が、そのやりたいことで稼ぐことだとすれば、プロになるというのはあくまで手段であって、それが目標ではないのではと。

そういう意味で、「仕事になると好きだけではやっていけない」ということもよくわかります。

楽器演奏のプロなら、自分が弾きたいことだけを弾けるわけじゃないでしょうし。

バスケのプロなら、自分がやりたいプレーを抑えてでも、チームの勝利に貢献しなくてはいけないでしょうし。

ただ、演奏すること自体が、プレーすること自体がすごく好きならば、プロになることって稼ぐことも出来てとても効率がいい在り方ですよね。

そんなことを言ってしまうとロマン的には薄れてしまうかも知れませんが。

 

バンドをやりたい人は、バンドでプロになるのが一番いいわけですよ。

でもそこに「有名になりたい」「金持ちになりたい」「チヤホヤされたい」などの似て非なる欲望が、友達のフリして着いて来るんですよね。

こういうものを別で考えられたら人生は上手くいくんだろうなと、時々考えることがあり、事の大小に差はあれど、同じようなことは誰の身にも降りかかる可能性はあるよなと思っています。

まさに初心忘れるべからず、みたいなことなんですが、人生ってわかりやすい落とし穴に簡単に落ちるもんですから、日々常々お気をつけてどうぞ。

 

やりたいことをやってる時に人生は完成している

どうも、バッカスのオッサンです。

うーむ、タイピングにも一般人としての限界があるのでしょうか。

寿司打で1万2千円を3回クリアする⋯というのが日課であり、それをクリアしない限りはブログを書かないと決めているのですが、これが毎日続けていても一向に上達しない。

ここ数ヶ月は大体同じくらい失敗して、何とか条件をクリアするという感じが続いています。

単純な作業だけに、毎日毎日繰り返していれば自然と上達するつもりでいたのですが、何も考えずにコツコツやる上限が今のレベルなのかも知れないと感じ始めています。

これ以上先のレベルに行くには、何かしら特別な訓練が必要なのかも知れない。

知らんけど。

 

ま、文章を打ち込む分には特段困らないレベルでは打てているので、そこまでタイピングに力を入れるつもりもなく、そして必要性もありません。

何かの役に立つかも⋯と、あとは単純にキーボードをカタカタするのが好き⋯という理由だけでずっと続けていることなので、このブログを書くこと以外にタイピングの能力は必要ないのです。

そうそう、絶対に忘れてはいけないのが「私が自分の好きで勝手にやっていること」ということです。

何の大義名分もなく、好きで勝手にやっている。

嫌になったら辞めるだけ、誰も困らない。

続けていくうちに、何か義務のように感じてしまう日もあるのですが、趣味で勝手にやってる活動に不満を唱えるなどバカのすることです。

私のこの活動は、文章を打ち込んでいる今、まさに今、ジャストナウが最高に楽しんでいる瞬間であり、これは純粋な悦びとして享受すべき。

最高だぜ、楽しい。

 

何か評価がなければ、自分のやっていることに自信を持てなくなるという気持ちは、このような馬鹿みたいなことをしている私にもわかります。

自分がやりたくて、ただ楽しくてやってること、それをやることだけが意味であり価値であると考えられたら、楽になりますね。

他人の評価というものは得てして的外れであったりもします。

自分では思ってもいないところが褒められたり、逆に貶されたり、自分が大切にしている部分は案外どうでもいいっていう人がいたり、それぞれに物の見方も感じ方も違うので、そこはそこで自由であって良いと思うんです。

だから、他人からの評価は意味がないと思いましょうよ。

そうすれば⋯例えば私ならベースで弾ける曲が増えたぜ!最高だぜ!⋯だけで楽しい気分でいられるんです。

 

そうして楽しい気分でいられることが、人生においてものすごく大切なことだと、再三私は申し上げてまいりました。

私はオッサンなんです。

オッサンに限った話ではないかも知れませんが、自分の機嫌を良く保つ、毎日何かが楽しい人生を生きる。

これが非常に重要なことなんです。

特にオッサンに関しては、存在自体がマイナスの場合もあるのでより重要です。

とてつもなくラッキーな、めちゃくちゃ最高に幸せな瞬間なんかは、そうそう巡ってこないんですよ。

そういうものには運とか偶然が必要になってくると私は考えております。

でも毎日をちょっと楽しく機嫌良くしていくことは割りと狙ってできることであり、再現性が高く、そしてそれが少しずつ大きなものに繋がって行くかも知れないのです。

 

ま、私はそんな大きなものはもう必要ないと思っているのですが。

毎日が少し良ければ、それでいいのです。

おそらくほとんどの人が、機嫌の悪い他人と接するのは非常に苦痛です。

だから自分が機嫌良く生きられるようにしておけば、他人からは「嫌じゃないね」と思ってもらえる可能性が高まるのです。

人間関係も良好になりそうな気がします。

オッサンこそ機嫌良くいろ!と私はしつこく提案させていただきます。

 

楽しい毎日とは

どうも、バッカスのオッサンです。

仕事、バスケ、ブログ、楽器練習(主にベース)、たまにゲームと、毎日やることが多くて忙しいのですが、これを知人に説明すると「毎日楽しそうですね」と言われました。

私としては、全てをこなすためには時間が足りなくて、毎日毎日必死でノルマをこなしているつもりだったので、知人の言葉に目から鱗が落ちました。

そうか、これは人様から見ると楽しそうな毎日なのかと。

うーむ、確かに全てが上手く回っていれば楽しいことこの上ないかも知れないけれど、全てが上手く行ってないときは逆に地獄のような日々となります。

仕事は景気が悪くて心配⋯バスケは思うように強化が進まない⋯ブログは書くことが無い(慢性的に)⋯ベースは上手くならない⋯ゲームはやるための時間が作れない⋯

そんな感じの状況がわりと頻繁にあるので、私はとてもこの状況を楽しいとは表現できなかったのですが、そうか、人様から見ると楽しそうなのかと。

 

私が毎日こなさなければいけないことのうち、仕事とバスケ以外は特に強制力がなく、いつやめても誰にも文句を言われないものです。

だから私の気持ちが折れてしまえばそこですぐに終了となってしまいます。

ただ、私は「継続は力なり」という言葉を100%信じ切ってはいないものの、「継続はしないとね」くらいには思っているので、続けることで見えてくるものや、知らぬ間に身に付いていること、当たり前に出来るようになること、というものをいくつかは身を以て経験しているので、簡単に辞めることはしたくないのです。

なんだかんだ言って、続けないことには何もわかりません。

その対象が何であれ、それの良いところ、悪いところ、楽しいところ、しょーもないところ、意味のあるところと無いところ、色んなことが始めてみてから数週間や数ヶ月ではわからないものだと思っています。

「石の上にも三年」というように、少なくとも三年くらいは一生懸命取り組んでみて、その時点でもう情熱がなければ辞めてしまえばいいと思うのです。

 

辞めてしまった場合、その三年が無駄になるかというと、それは人それぞれになってきます。

私の考えでは、三年間何かに必死に取り組んだなら、直接的ではなくても何かしら学びがあるものだと思いますし、ある程度の技術は身に付いているはずです。

それを活かすか殺すかはその人次第。

特に、直接的ではない事柄⋯例えば楽器演奏の演奏自体よりも、それを習得するために取り組んだ方法であったり、それに付随した人付き合いであったり、演奏がうまくなる以外についでに身に付いてしまったことのほうが、その後の人生の役に立つような気がします。

楽器のメンテナンスが得意になって、それがDIYへの自信へつながったとか。

録音や録画をするためにパソコンの使い方を覚えてしまったとか、編集が得意になったとか。

そういうオマケみたいに思っていたことから、新たに世界が広がっていくこともあると思うので、もし何かやりたいことがあるのなら、三年間必死でやってみると良いかも知れません。

その成果についてはその人次第となりますので、私は一切責任を持ちませんので悪しからず。

 

やりたいことはやるべきだと思うのですが、そういう話をしていると「法を侵さない範囲で」とか「人を傷つけるようなことは駄目」とかの話になってくるのですが、それはまぁどんな場面でもだいたい駄目なことなので、わざわざこういうところですることもないかなと思います。

こういうところ⋯というのは、自分の人生を楽しくしようと考える場所⋯ですが、そこにおいてそんな話は必要ないと思うのです。

だって、面白くないから。

例えば誰かに「俺はどうしても人を傷つけたい、それが俺のやりたいことなんだ」と相談されたらどうしますか?

やめろバカ、としか言えないでしょう。

落ち着けバカ、やめろバカ、もっとちゃんと考えろバカ、それくらいしか言葉が見つかりません。

生物として、生命や健康を脅かすものは外敵ですよ。

そんなことを考えてしまう輩の方々は、騙されたと思って楽器を練習してください。

三年間、一心不乱に楽器を練習してください。

そして猟奇的なへーヴィーメタルでも攻撃的なヒップホップでも、音楽で自分が思っていることを表現してください。

それでもまだ人を傷つけたいのなら、また三年間取り組めることを一緒に考えましょう。

とにかく人類の外敵になる前に、出来ることがあるのです。

信じろバカ。

 

継続は力なりを地で行く人間と成りたい願望

どうも、バッカスのオッサンです。

バスケを教えていて感じることですが、男子の場合はYoutubeSNSなどから情報を得て、自分から進んで新しい技術を身に付けようとする子が多いです。

逆に、女子はわりとその辺は不得意というか、わりと「やらされる練習」という立ち位置にいるほうが安心する子が多いというか、自分から進んでやるというよりは、課せられたことを一生懸命やるという子が多いように感じます。

とはいえ、これは大まかな傾向であって、男子の中にもやらされてる感満載で練習する子もいれば、女子の中にも積極的に自分から新しいことに挑戦する子もいます。

そして、今のバスケ界隈で成功している選手の多くは、自分から新しいことに挑戦する子がほとんどだと思います。

ま、バスケ界隈に限って言えば、そうではない、身長が大きくてバスケ界隈に捕まってしまい、自分からやるタイプではないけれど上のカテゴリーまで生き残っている選手もたくさんいます。

ですが、メディアに出るような選手の殆どは前者のような選手ばかりです。

コーチとして、子供たちに意識づけするとしたら、どういう方向に持っていけばいいかは明確。

 

そして、コーチとして勝手にスキルトレーニングに取り組んでくれる子たちばかりになると、チームの育成も楽になります。

新しい技を披露し合ったり、新しく覚えたことを試してみたり、そういった競争が勝手に起こり始めると、自然とチームの技術レベルが上がります。

コーチとして、子供たちにどう意識づけするかは明白です。

 

ま、基本的にクラブチームでやろうという子は、学校の部活動で満足できない子達がほとんどなので、こういった取り組み方は言わずとも出来る場合が多いです。

しかし、そういう文化に触れてこなかった子も最近は増えているので、わざわざそういったスキルを勝手に求め始めるレールを敷かなければいけない状況になったりもします。

今の私のチームは、わりとそういった感じに陥ってしまっている部分があり、少し落ち着いて、方向付けに注力すべき時なのかも知れないなと思っています。

こういった選手が勝手に成長するような、自走してくれる方向付けが出来ている時は、チームとしての成長も早いです。

逆にそういった部分が一切無いと、頑張った分、働いた分の成果すら得られないことが多いです。

選手が心から求めていないことは、いくら丁寧に教えようが身に付かず、逆の場合は教えなくても身に付くことがあります。

コーチの役割とは、まずは選手の気持ちをチャレンジする方向に向けてやることなのかも知れません。

そしてそれを継続して持たせ続けること。

即ち、気持ちが折れないようにしっかりと見守ること。

育つこと自体は太陽と大地の恵みに任せて、水を上げたり虫を除けたりする、農業のようなものかも知れませんね。

ま、私は農業はちゃんとやったことないので、よくわかりませんけど。

 

バスケの練習のことも大事ですが、私にとっては楽器の練習も大事です。

こちらの場合は私は選手側というか、プレイヤーとしての練習になりますので、誰かに教えるでも弾かせるでもなく、自分自身が上達しなければいけません。

こちらの練習の仕組みも、少し工夫をして効率を上げていきたい。

私の場合、ギターは下手くそながら長くやってきてしまったこともあり、更に言えば、ある程度自分のギターの弾き方というものが型としてあって、特別それに不満もないため、あまり一生懸命練習しようという気になれません。

ですが、ベースに関しては昨年末くらいから練習し始めたこともあって、わりと素直で謙虚な気持ちで練習に取り組めています。

どちらかというと、コツコツやる練習としてはベースのほうが楽しめる気がしています。

そして、コツコツやることの大切さと、そのコツコツの威力というやつを、私は自分の力で体現したいし実感したいのです。

 

普段、子供たちにはコツコツやることを求めているのですが、結果を早く求める子が多く、あまり私が認めたくなるほどのコツコツをやっている子を見かけません。

私はコツコツこそが素晴らしい人間の営みと信じて止まない人間なので、もっとコツコツやってほしいのです。

しかし、私の中にもコツコツを疑う部分も出てきてて、もっと手を変え品を変え、楽しませながらコツコツと同じ成果を得られる練習をすべきかもとか思わなくもない現状もあり。

いやいや、チーム練習はそれで良くても、個人練のベースはコツコツでしょうと。

それを証明するために、自分がまずはコツコツをやって成果を出しましょうと。

そんなふうに考えまして、自分の信じるものを確認する意味でも、ベースのコツコツ練習を続けていきたいと思います。

 

なので、ブログに書ける時間を少し減らしていきたいです。

しかし、書ける日には毎日書きたい、だってこれもコツコツだもの。

そんなわけで、文章に関してあんまり考えすぎず、今よりも更に思いつきと勢いで突っ走る感じで、このブログを書いていきたいと思います。

誤字脱字にご注意ください。

 

気候は良くても心は大荒れ、これなーんだの答え、それは秋

どうも、バッカスのオッサンです。

秋ですねー秋ですよ。

今がまさに秋です。

気候的にもかなり過ごしやすくなってまいりました。

近年の日本は、暑いか寒いかのどちらかしかない!⋯という論が定着しておりますが、今!まさに!秋!

まだまだ日中は暑い日もありますが、もう秋です。

みなさんが大好きな秋を、見過ごすこと無く、取りこぼすこと無く、私は堪能していただきたいと思っております。

 

秋といえば行楽シーズンなどと言われますが、私にとっては追い込みの秋。

U-15のバスケ界隈では、3年生にとって最後の公式戦のシーズンとなります。

もちろん、強いチームにとってはこれから予選が始まって年末や年始に向けて全国大会やそれに準ずる地方大会などがあり、これから駆け抜けていくような季節なのですが。

私どものような零細チームにとっては、その予選段階でシーズンが終わることが定例となっており、それはすなわち代替わりの時期でもあるということです。

現在の3年生が思い残すこと無く最後の試合を迎えられるように準備しながら、次の年のチームに向けても鍛えて行かなければなりません。

そんなわけで、気持ち的には非常に忙しい季節です。

ここ10年は、行楽についてなど考えたことがありません。

 

指導者側はそんな感じでバスケットボールについて真剣に取り組んでいきたい季節なのですが、子どもたちは子どもたちで来たるべき受験に備えてテスト期間などで出席率が低下します。

指導者としては焦る気持ちもあるのですが、子どもたちもある意味で焦っている子もいるので、私はこの季節を「誰も幸せにならない季節」と呼んでおります。

嘘です、いま思い付きで書いてます。

 

勉強に焦る3年生、呑気な1,2年生、試合に向けて焦る指導者、そんな状況のチームの練習は、空気が悪くなりがちです。

私としては塾などで練習を休むことを咎めてはいませんので、ある程度メンバーが揃わないことには納得しています。

ですが、せっかく練習に来れる日には集中して取り組んでほしい思いがあるため、手を抜いたようなプレーをされるとやはり苛立ちます。

ま、多感な時期の子どもたちが相手なので、バスケや勉強以外にも心が揺れる出来事はあるでしょうし、そこは私が大人としてグッと堪えた対応をするべきなのでしょう。

うーむ、悩ましい。

 

そんな季節でございますので、私も非常にメンタルバランスが悪いです。

「オッサンとしてせめて機嫌良くいるべき」という思想の私ですので、これは何とかしないといけません。

自分の機嫌くらいは自分で取ろう、オッサンだもの。

安定感こそがオッサンの魅力。

揺れ動く心の内を悟らせず、落ち着いたように見せるのがオッサンのマナーです。

今日も機嫌良くキーボードをカタカタして、機嫌良くギターを弾いて、己の精神を整えたいと思います。

 

たまたま入ったお店で今月の成績がヤバい営業さんに出くわした時に感じる圧

どうも、バッカスのオッサンです。

私の一日の生活は、仕事、バスケ、ブログ、楽器練習、以上で手一杯の感じになっております。

以前は楽器練習の代わりにゲームをしていたのですが、現在は楽器練習に時間を割きたいため、ゲームをする時間が無くなっています。

宝くじでも当たろうものなら、仕事の時間を大幅に削減してここにゲームを追加したいところですが、そんな夢みたいな話が実現するはずはなく、なんとか収入を増やすことができればいいのですが、特別なアイデアもない状況です。

そんな私の現状を知ってか知らずか⋯というか知ってるはずがないのですが、Youtubeの広告に株式投資関係のものが上がる回数が増えている気がします。

あのCMは一体何なんでしょう?

出演者の中に実在するのかどうかわからない人もいるのですが、たまにホリエモンが出てきたりして、なんだかAI生成みたいな感じでセリフを棒読みしているCMなんですけど。

違和感がすごすぎて、流れてくるだけで不穏な気持ちになります。

もちろん、そんな得体の知れなさを感じる広告なので、広告としての信頼性はめちゃくちゃ低いんですけど。

なんだか薄気味悪いというか、ああいうのを見ると恐怖を感じてしまいます。

 

昨今のCMを観てて感じることというか、私はめちゃくちゃテレビっ子世代なのにも関わらず、最近は地上波をテレビで見ることはほとんど無いので、CMに関してはネットのものばかりを目にするわけなんですけども。

SNSなんかで、本職ではない、例えばお店の店員さんや、あるいは売れてないタレントの卵の方なのかも知れないですが、そういう方の主演するCMを目にする機会が増えました。

そういう方々の白々しい演技というか、頑張って演じてます感というか、そういうものが観ていてキツイなと感じることも多いです。

最近の人達は変に動画撮影に慣れているせいか、CMそのものの形にはなっていると思うのですが、だからこそ余計にしんどく感じてしまうのかも知れません。

昔から企業のスタッフや店員さんが主演するCMの形態はありましたが、それはもう明らかにカメラに慣れていない人たちがカンペを棒読み、いや、棒より棒とでも言いたくなるようなレベルの棒読みで、それはそれでそれなりの味わいがありました。

要は「頑張ってセリフを読んでます」という感じが、初々しさと拙さとやらされてる感とでもやらなきゃいけない感が絡み合って、独特の安っぽさを醸し出していたのですが、それが逆に良かった。

今のSNSに慣れた人たちは、カメラの前に立つことに躊躇がなく、流暢に演技をされるのですが、当然、役者としての志があるわけではないので、結局は慣れているだけの下手な演技が完成してしまいます。

そういうものに連続で出くわしてしまうと、何とも言えぬ違和感と不快感が蓄積して、疲れてしまうんですよねーという個人の感想です。

 

その点で言うと、プロの役者のCMにはそういうことを感じることがほとんど無く、流石にプロの仕事だなと感じます。

ま、SNSのものとは違って、プロの役者さんは演技をすることに集中していて、そのCMで売りたい商品に関してはなんの思い入れも無いでしょうから、そういうある種の熱のなさも良いのかも知れません。

SNSのCMは売りてーと売れてーが強すぎる。

 

私がオッサンになってしまったからかも知れませんが、世の中のCMの殆どは実際に自分と関係のないものばかりなので、そんなふうに考える私のような人間は進んで課金してCM無しの生活を手に入れるべきなのでしょう。

でもまぁ、そんなことのために金を使うのもねぇ⋯とか、余計なものを排除しすぎるのもねぇ⋯とか思ってしまうわけです。

特に後者については、あまりに自分の興味のあることだけを追求して、それだけに囲まれた生活をしてしまうと、他人と関わるうえで厳しい生き方になるような気がしています。

人と関わらないなら問題ないですが、仕事をしててもバスケをしてても、ある程度は関わるものですから。

あまり自分の世界に浸りすぎると、人の気持がわからなくなるというか、まぁそもそもわかるわけがないのですが、人と人が関わるうえでは、自分と違う考え方の人間がいるということを認識しなければいけませんし、またその人の心情を想像する⋯わからないまでも想像力を働かせるということが私は大事だと思いますので。

なので私は課金はせずに広告を見続けます。

 

芸術にも商品にも成り得ないけれどただただ生活の悦びではある

どうも、バッカスのオッサンです。

少し涼しくなりましたかね?

ついこの間まで35℃超えが当たり前のような気温で生活していたので、最高気温が30℃前後となってくると、途端に過ごしやすくなったような気がします。

まだまだ昼間は暑い日も多いですが、夕方くらいになると涼しさを感じるようにもなり、長い夏もやっと終わりの気配です。

本当なら9月が既に秋のはずなんですが、近年10月まで暑さに気が抜けない我が国ですので、まだまだ一年を通せば暑い方の季節にいるということを忘れずに過ごしていきたいです。

 

私には生涯を通じて関係ないような話でございますが、世の中の事務所づとめの方たちは、冷房が効きすぎて夏に冷え対策をしなくてはいけないと聞いたことがあります。

特に大きい会社に勤めている人なんかは、ビルの空調が全体でコントロールされているため、細かい調整が効かず、大変だと言います。

そんなこととはつゆ知らず、どちらかというと外に近い環境で働く私のような人種は、涼しいところで働けることを羨ましく思いますが、私は特に荷物嫌いというか、準備物、ならびに道具が多いのがあまり好きではない方で、出来れば体一つで何とかなりませんかね⋯と思っている人間ですので、例えばクソ暑い夏なのに長袖の準備がいるだとか、冷房対策でもう一枚的な、そういう余分な物の備えが必要ない、今の環境が好きです。

毎日汗だくにはなりますが、そもそも毎日バスケの練習もあるので、夏の汗だくはデフォルトです。

毎日毎日バカみたいに水分を摂り、失い、の繰り返しをしておりますので、新陳代謝としては良好なような気がしています。

 

バスケの練習はバッシュとホイッスルがあれば、まぁ困らないかなという感じなんですが、バンド活動をしていた時は割りと荷物が多くて、その点については常にストレスがありましたね。

ギターやベースがそもそも大きい荷物ですし、音に拘るとエフェクターや何やのオマケ的な荷物が更に増えます。

ギターも2,3本持ち込んだりした日には、ちょっとした引っ越し気分になります。

ギタリスト、ベーシストの最小構成で言うと、ギター(ベース)本体+シールド一本で「漢のアンプ直」スタイルが私としては一番望ましい形。

なのでミッシェルガンエレファントのようなバンドが一番理想の形です。

ただ、そうは思っていてもギターやベースを触っていると、いろんな音色を出してみたくなるものなんです。

バンドの曲で全然使わないような音を準備してしまうものなんです。

 

私の感覚で言うと、コピーバンドをしている人が、荷物に関しては一番大変かなと思います。

すでに正解の音色が世の中に存在しているので、限りなくコピー元の音色に近づけるために機材が増えてしまいます。

その点、オリジナル曲を演奏するバンドであれば、「自分はこういう音作りなので」という大義名分がまかり通るので、ほんとはもっと多彩な音を出したいと思っていても、荷物がめんどくさいという理由で理想を捻じ曲げることが可能です。

ま、そこを捻じ曲げてどうするんだという話ですが。

ただ、音というものにはそれこそ誰かのコピーや再現でない限りは、正解というものがないというのが私の思想です。

クラシックなどの高尚っぽい音楽をされている方とはそもそも話が合わない覚悟で生きていますが、ご了承ください。

まぁ例えばヴァイオリンのすんげー名器があったとして、それが一番素晴らしい音を奏でるなら、みんながそれを持ってなくちゃいけなくなるじゃないですか。

いきなりヴァイオリンの話をしてもわけがわかりませんね、すみません。

ギターで言えば、フェンダーギブソンのヴィンテージだって、全部が全部いい楽器というわけじゃないですよ。

一本一本に違う鳴りかた、鳴らしかたというものがあって、弾き手がどう捉えてどう演奏するかでまた全然別物になって⋯みたいなことじゃないですか。

高価であれば良いというわけでもなく、古ければ良いというわけでもない。

結局はその楽器を人が演奏して、鳴らされた音が感動を与えるかどうかっていうところなので。

例えば安い楽器の安い音が、人によっては青春の音だなーって、懐かしいなーって、涙することもあるかも知れないじゃないですか。

そんなふうに思うので、私は楽器は何でもいいと思ってる派の人間なんです。

 

そんなわけなので、私は大体、ギターやベースは見た目で選びます。

そして一応、音は確認します。

どうしても嫌な感じじゃなかったら、欲しくなります。

あとはお財布と相談という感じですね。

誰かが良いと言っているから⋯とか、これくらいの価格帯のものを弾かなくちゃ⋯みたいな論調とかには乗せられたくないですね。

そういう論には何の中身もありませんので。

ま、所詮は自宅で個人で楽しんでいるだけの奴の話なんで、大した意味もありませんが。

プロの方が仕事で使ったりする分には、ある程度の水準というものがあったりするんだと思います。

商品としてパッケージするための水準的なものが。

ま、それも音楽とは関係ないような気も私はするんですけどね。